ごんぞう氏が強人になった日

ゴールした選手を迎える横断幕



いよいよ、いよいよ今日は宮古島トライアスロン
本番の日です。私たちがこの島に来た日の
天気予報ではこの日の天候は曇りだったのに、
昨日の時点での予報では快晴。嬉しい限りです。


午前4時に起床し、昨日スーパーで購入したパンや
おにぎりでの朝食を済ませ、5時10分のバスに乗り込み
会場へ。会場はまだ日の出前で暗く、慣れている人は
みんな小さなライトを持っていました。成程、便利かも。
そこでアンクルバンドを付け、左腕にマジックで
レースナンバーを書いてもらい、いざ、スイム会場へ。
しかし、選手以外の私達応援者は海岸へは入れず、
フェンスの外側での応援となり、そこで一時ごんぞう氏を
見失ってしまいました。
それでもスタートまでの時間に彼を発見し、少し話をしたり
写真を撮ったりしてスタートを待ちました。
そして・・午前7時。カウントダウンも無く、私には
号砲も聞こえなかったのですが、スイムスタートとなりました。
もうすでにごんぞう氏を見失ってしまったので、適当に写真を撮り、
スイムのゴールを見届けようと、ホテルの建物のほうに向かって
歩き出しました。と、何やら人だかりが。近づいてみると
テーブルの上に紙とマジックが置いてあり、「選手の皆さんへ
応援メッセージをご自由にお書き下さい」とあり、皆さん
メッセージを書いていたのでした。私も便乗して一枚紙を取り、
ごんぞう氏のレースナンバーを大きく書きました。しかし、
「番号じゃわかりにくいかも・・」と、少し小さくごんぞう氏の
名前をフルネームで書き、『ガンバレ!』とメッセージも書きました。
そしてごんぞう氏が無事にスイムアップしてトランジットへ向かうのを
見届け、バイクスタートも無事に済ませたのを確認してから
事前に申し込んであった「応援バスツアー」に参加するため
バスの待っている場所に向かいました。


この、応援バスツアーとは、私のような選手の家族達が選手を応援するために
あちこちのポイントに連れて行ってくれて、そこで通り過ぎる選手を応援する事が
出来るバスでのツアーで、お弁当付きではありますが4800円・・と、ちょっと
値は張りますが、島内のあちこちが通行規制されている状況では車での応援は
無理だと思われ、かといって一日ホテルの部屋で過ごすのも空しいし、折角だからと
参加する事にしたのでした。


待っていた大型バスに乗り込むと、早速ガイドさんが教えてくれたのは
携帯で選手の情報を登録しておくとレースナンバーからどの辺りを走っているのかが
分かるというサービスの利用方法でした。私は事前にごんぞう氏が携帯に登録して
くれていたのでよかったのですが、私の隣に座った女性
(息子さんの応援らしいです)が、なかなか操作方法が分からないらしく、
苦労してガイドさんに聞いていました。


出発からバスが最初に到着した応援ポイントはバイクの一周目、62キロ地点でした。
バスを降りた参加者達は各々車道の隅に陣取り、目当ての選手が来るのを待ち、
私も歩道の段差のところに腰を下ろし、ごんぞう氏が通り過ぎるのを待ちました。
と、ツアーのスタッフの方が冷たいお茶をご馳走してくれたり、「応援グッズは
どうですか?」と、巨大なメガホンやタンバリンや鈴を差し出してくれたので、
私もタンバリンを1つ借りました。そして待つ事数十分。マイクでごんぞう氏の
レースナンバーが読み上げられました。私は立ち上がり、タンバリンを叩きました。
するとごんぞう氏がこちらを見て、私の手にしていた応援ボードを見てか、
親指を立てて応えてくれました。嬉しい気分でバスに戻りましたが、
ごんぞう氏が私に気づいてくれたのはこの一か所だけだったのでした・・。


次の応援ポイントはバイク2周目の150キロ地点で、ここは昼食場所でもあります。
バスを降りた私達には早速お弁当が配られました。かなり豪華な内容で、
女性には多いのでは?というくらいの量でした。 ここではサービスで
ポップコーンとかき氷が配られていました。そしてごんぞう氏がやってきた時、
私は先ほどと同じようにタンバリンを叩き、ボードを掲げたのですが、
コースが下り坂でスピードが出ていたためか、ごんぞう氏は無情にも
私に気づかずに通り過ぎてしまいました、。まあ、仕方ないですね。


最後の応援ポイントはランの6キロ地点と35キロ地点です。さすがにこの頃になると
行き過ぎる選手の皆さんの疲労もピークの様で、足を引きずる様に歩いている方も
沢山みえました。日差しもかなり強烈で、選手達の体力を奪っているようです。
そんな中現れたごんぞう氏もかなりお疲れの様子で、
写真を撮っている私に気づかず、目の前の位置に近付いた時初めて
「おっ」と気づいてくれました。それでもその時点では歩きではなく、
走っていたので「がんばって!」と声をかけて見送りました。
しかしどう計算しても折り返して35キロ地点であるこの場所に戻ってくるのはかなり
後の時間になり、ここからゴール地点まで行くバスの最終の時間である4時10分には
間に合いそうにありません。それで仕方ないので、大分早いですがゴール地点の
陸上競技場までバスで行く事にし、応援バスツアーはここで終了となりました。


それでも陸上競技場に着いた時、すでに上位の選手数人はゴールしており、
私が到着して程なくして女子の優勝選手がゴールしました。
それからごんぞう氏を待つ時間は長かった・・。
特に折り返しから30キロ地点を通過するまでの時間、私はずっと
携帯を見続けました。しかし何度更新してもごんぞう氏が30キロ地点を
通過したタイムが表示されません。
「このペースだとゴールの制限時間に間に合わない・・」私の脳裏には、
道の途中で蹲り、動けなくなってしまった彼の姿まで浮かんでくる始末です。
しかし、午後5時20分、ついに30キロ地点をごんぞう氏が5時3分に
通過したと表示されました。私は嬉しくて嬉しくて涙が出そうになりました。
それから35キロ地点までの5キロは45分もかからず通過しているので、
「ペースが上がった・・持ち直したのかな・・これなら日没までにゴール出来るかも」と、
彼の当初の目標であった「明るい内にゴールする」のも夢ではないかも・・
なんて舞い上がってしまいました。が、疲れが出たのか最後の7キロは
少しペースが落ち、彼が競技場に姿を見せたのは、6時40分過ぎでした。
それでも辺りは十分明るく、何故か彼は周りをキョロキョロ見回しています。
写真を撮りながら「私を探しているのかな?」と、私は写真を撮るのを止め、
トラックに出て手を振りました。
そして私を見つけてゴールに向かうごんぞう氏と並んで走りながら、
「お疲れ様! 速かったね!」と声をかけると
「あー、あぶなかったー。でもまだ明るいでしょ?」と余裕の笑顔。
ゴールゲートが見えた時、ごんぞう氏が私の手を握ってきました。
「手を繋ぐなんて・・何年振りだろう」と、感慨に浸りながら
手を繋いだまま両手を上げて2人で一緒にゴールテープを切りました。
記録は11時間44分20秒。目標通り、日の入り前のゴールとなりました。


ゴール後は完走メダル、完走タオル、完走Tシャツをもらい、
振る舞われた宮古そばを食べ、他の人たちのゴールを見て、
最後の完走者のゴールシーンまで見届けてからバスに乗って
ホテルへ帰りました。部屋に帰り着くとごんぞう氏はそのままベッドに倒れこみ、
速攻で眠りについてしまいました。そりゃそうでしょうね。
今日一日中海を泳ぎ、自転車を漕ぎ、フルマラソンを走っていたのですから・・。
いつもなら「ちゃんと着替えて! 歯磨いて! お風呂入って!」と
口うるさい私ですが、この日ばかりは思う存分眠らせてあげようと思ったのでした。


4月24日、この日ごんぞう氏は「STRONGMAN」の称号を与えられました。